こーじゅんのギター歴史2
ハロー
お茶漬けの汁最後まで飲んでいいのか迷ってる人や蕎麦のつゆ飲んでいいのかで揉めているそこの藤原ァァァ!!!!!
落ち着いてください
そんな事より立ち食いそば屋の店員さんに
おじいさんいるところは美味しいという話しましょう
どうも
こーじゅん☆ギター講師です
今日は前回に引き続き 自分のギター歴史について話します
20歳で耳聞こえなくなって音楽やめたとこまで話しましたね
そこから22歳までほとんどギター弾かなかったです (月に2時間触るくらいは触ってたかな)
とりあえず家でプレイステーションの鉄拳タッグっていうゲーム極める事とパワプロの選手育てることとぷよぷよ13連鎖するだけに命を注いでました
もう音楽の人の気配もなく、鏡で自分を見たらただただナマズみたいな顔してました
いや
電気ナマズかな(変わらん)
そして
23歳になった頃
耳がほとんど治ったっぽかったので趣味でちょくちょくギターを弾き始めました
でもまた再発すると嫌なので
あまり大きい音の中に行く事を避けて
アコースティックギターを弾く事にしました
この時にタカミネのアコギを買いました
仲良しだったお友達とアコギのユニットを組んで
3ヶ月くらいだけ活動しました
あと、知り合いの外人さん達と演奏する機会もあってリズム鍛えてもらいました
この頃確かちょうど付点8分音符でメトロノームのアクセントズラすとか の練習よくやってました
この頃は、ファンク、ラテンなどを好んで聴いていました。ロドリーゴ・ガヴリエーラやリチャードボナというベーシストをひたすら聞いたりしてましたね
アバニコやスラップはこの頃にやりました
日本人だと米米CLUBとBUMP OF CHICKENが好きで カラオケにいったらそれしか歌わなかった
って言いたいところですが
結局アニソンとモー娘。を声届かないくせに叫びまくり 喉をからして 次の日椿鬼奴っていうジャンルの声質で暮らしました
23歳〜26歳。
震災のボランティアに行く流れで上京
ここはギターまた辞めていました
本当にこの時期は自分の人生の中でもドン底に落ちまくっていて
本当にダークすぎてもうダークドレアムでした
音楽をやる暇はなかったし
騙されまくって東京に馴染む事すら出来なかった
とにかく生きる事に必死だった時期
1つも本当の笑顔なかった気がします
THE 偽りの自分
みたいな感じでした
ちなみにこの時の THEの読み方は 「ザ」 じゃなくて 「ジ」
です
この経験のおかげで僕は
どんなに嫌な時期にも終わりは来るという事もわかったし
楽しい事に時間を使えるという素敵さとか
に気づいていきました
20歳から26歳まではギターを辞めてたようなものだったので 生きがいなんてなかったし
何だか人生やる事なす事うまくいかなかった
26歳になった頃
東京にあるライブハウスでオールディーズやロックンロールをやってるバンドにいれてもらいエレキギター再開しました(10ヶ月くらい?)
毎日牛乳配達したり、沖縄料理屋で働いたりしながら演奏リハビリ
ギターのスタイルが少し変わってきて
カッティング多めな人間になってきました
もう意味もなく 半拍3連をいれまくり
32分音符をしまくって ドゥルルルしてました
それと同時に河川敷で夜中にアコギを弾くっていう趣味も出来て
なんかリズミカルなアイデアを考えまくっているうちに
自分はいわゆるグルーヴとかそういったものが好きなんだろうな と気づきました
そこで指弾きのゴーストノートやスラップをアコギでフレーズ考えるのが楽しくてたくさんやりました
その流れでギター生活が復活し
27歳。
リズムギター塾長を名乗り
アコギでyoutubeに動画をのせ始める
ここらへんは、完全に黒人の音楽ばかりを聞きました
あとマイケルジャクソン。ビクターウッデンというベーシストとかに憧れていました
ギターは 独奏
ソロギター?というより なんか少しメロディある伴奏だけを人に聞かせるようなスタイルになっていきました
人と合わせる事はほとんどしなくなりました
そして奏法的には
ピックと指弾きどっちにしようか悩むの面倒だったので
どちらも同時にやってみようということで
世間でいう
ハイブリッドピッキング(ピック持ったまま指でも弾く)
っていうプレイスタイルをするようなりました
これが出来るようになってきてから
色々考え方が変わったのと 楽しくなった
何よりベース音への意識が強まりました
ギター1本だけで色んな表現が出来たら面白いんだろうな
と考え始めたのもこの頃です
あと
これは もしかしたら余計な情報かもしれないですけど
大戸屋では いつもさばの塩焼きの定食を頼みます
続く